2013年10月11日金曜日

アンナ・アフマートワの「レクイエム」


(A portrait of Anna Akhmatova by Modigliani)

ロシアNOWというロシアのことを紹介するサイトがおもしろくて、最近よく見ている。
多言語で配信しているサイトなのだが、言語によってある記事ない記事があり、
趣味の合うテーマの記事でも日本語版がなかったりすると外国語で読まなければならないのがなかなかつらい。
先日、英語版にアンナ・アフマートワという女性詩人のことを紹介した記事を見つけた。
アフマートワはロシアではとても有名な詩人だ。
日本人でいえば「みだれ髪」で情熱的な愛を歌い、「君死にたまふことなかれ」で反戦を歌った与謝野晶子だろうか、
ソビエト時代の民衆の苦難をうたった、いわば「ロシアの母」のような人だ。

アフマートワは帝政ロシアの末期に若くしてデビューした。当時はロシア文学における「銀の時代」と呼ばれ、百花繚乱模様だった。
しかし、ロシア革命とそれ以降の共産党独裁により同世代作家は迫害を受けるようになる。
たとえば

オシップ・マンデリシュターム・・・流刑地に送られる途中で死亡
ウラジーミル・マヤコフスキー・・・共産主義に幻滅して自殺
マリーナ・ツヴェターエワ・・・迫害に耐えかねて自殺
ボリス・パステルナーク・・・小説「ドクトル・ジバゴ」が発禁処分。国外で出版されノーベル文学賞に選ばれるも、当局の圧力で辞退
ニコライ・グミリョフ・・・反革命活動に関わったことで銃殺

最後のグミリョフはアフマートワの最初の結婚相手だ。
彼との間にできた子供レフ・グミリョフも生前逮捕、投獄されている。
その経験は彼女の詩を私的なものから、弱者に寄り添うものへと変化させていった。
そして大作「レクイエム」(1935-40年)として結実した。
この作品はスターリンの大粛清時代の苦しみの記憶だ。 そのことはこの作品冒頭の「まえがきにかえて」という章に書かれている。

エジョフシチナ(注:1937~38年のスターリンによる大粛清のこと。彼の片腕のエジョフによることからこの呼び名がついている。)の恐ろしい年に、私は十七か月をレニングラード監獄の面会者の列で過ごした。ある日、わたしの素性に気づいたものがあった。と、わたしの次の番にあたった唇の蒼い女性が、むろんわたしの名など聞いたこともなかったろうに、わたしたち皆に共通した忘我の状態からふっと目覚めて、わたしの耳もとでたずねた(そこではみなが囁き声でしか話さなかった)。
「これをお書きになれますか?」
「書けますとも」
すると、なにやら微笑に似たものが、かつて彼女の顔であったものの上をつっと走った。



驚くべきことに、アフマートワはこの作品を紙にではなく記憶に書きとどめた。
彼女はスパイや密告の対象になっていた。
手紙は盗み見られていたようだし、留守中に部屋にガサ入れもあっただろう。
そのため、彼女はできた詩を知人に聞かせ、二人で暗記したのだという。

下の写真は昔自分が「レクイエム」を書き写したものだ。
もともと気に入った詩や文を見つけるとノートに書き取るようにしていたが、
(そういう古き良き習慣もデジタルデバイスのおかげでなくなってしまった)
図書館でこの長詩を見つけた時にもコピー機を使おうという気にはならなかったと記憶している。
おそらくそれがアフマートワの詩にふさわしい態度と思ったのだろう。

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2013年9月19日木曜日

ブラート・オクジャワ 「アルバート通りの歌」

ロシアNOW」というニュースサイトでモスクワのアルバート通りの記事が出ていた。
読んでいるとオクジャワの「アルバート通りの歌」を思い出した。
オクジャワは長くこの通りに住んでいたこともあり、
彼の、街への慈しみが感じられる曲になっていると思う。

手元に彼のCDがあったので拙訳をつけて動画にしてみた。
CDは外国盤で、解説はフランス語。
なのでロシア語の歌詞を仏訳したものを和訳している。